毒親のいない生活
こんばんは、烏丸遼です。
今回は毒親がいなくなってからの生活について話そうと思います。
私は大学4年生の時に毒親と離れて暮らし始めたのですが、やはり距離を置くことによって抑圧を感じることや過度な緊張をすることが格段に減りました。例えば、以前は毒親が夜遅くに帰ってきた際に眠っていても起きてしまったり、震えが止まらなかったりということがありました。また、大きな音に敏感で過剰に反応してしまうことが多かったのですが、一人で生活を始めてからは多少の大きな音では動じなくなりました。
ですが離れても抜けきらない「癖」のようなものもあります。私の母親は過干渉であったため、何かあったら常に報告するのが義務のようになっていました。そのため、何かするときはパートナーに対して「~してもいい?」のように許可を求めてしまうことが多々ありました。例えばそれがパートナーに関係ない私個人の予定でも、つい顔色を窺ってしまうのです。
毒親がいなくなっても、私の心には「毒親の影」が住みついています。一人暮らしになったからと言って、そう易々と毒親は解放してくれないのが辛いところです。
「親離れ」という言葉がありますが、見方によっては私は「親離れ」できていないのかもしれません。けれど「親」というのは少なからずの人にとって「家庭環境の象徴」であり、「自分の根幹を作った存在」と言っても過言ではないと思います。そんな大きな存在だからこそ、何かしら負担を背負わされた場合には長く苦しむことになるのではないでしょうか。
実際問題、私は毒親によって行われた虐待によって鬱病になりました。こうして病として発症する人もいるでしょうし、また何か別の形で現れる人もいるかと思います。いずれにせよ親による負担をスーザン・フォワードが「毒」と表したのは言い得て妙だと感じます。
私に注ぎ込まれた毒はまだまだ抜けそうにはありません。
<筆>
烏丸遼:毒親育ちのAC(ヒーロー・ケアテイカー・ロストワン)でセクシャルマイノリティの23歳、ライター修行中。大学で社会学を学び、勢いに任せてAC自助グループ「ハートゲイザー」を結成。毒親やACを社会学的に分析できないか、日々模索中。
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