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I am the heartgazer. ACの独り言

心理的虐待サバイバーの経験や考察を執筆していきます。

自立支援医療制度ってどんな制度?どう申請するの?

こんにちは、omeletです。
今日は自立支援医療制度について、少し説明したいと思います。

自立支援医療制度とは、精神科や心療内科で精神医療の治療を受けている人たちの医療費の負担を軽減してくれる制度です。
一般的には、成人の医療費負担は全体の3割ですが、自立支援医療制度を申し込むことによって1割負担となります!
診療代がおよそ1000~3000円、お薬が2週間分3,4種類で3000円ほどかかるとすると、1回の医療費はおよそ5000円前後になります。それがおよそ3分の1になると考えると、この制度はとてもありがたいですよね。
また一月の上限額というのも決まっていますので、1ヶ月に何回も病院にかかる人も安心して診療を受けることができます。

申請の手順としては、まずお住まいの自治体の障害福祉課の窓口で書類をもらい、かかりつけの病院に診断書を書いてもらいます。
あとはかかりつけの病院、薬局の住所や電話番号を記入し、自身の課税非課税証明書とともに窓口に出せば申請は終了です!あとは審査を待ち、申請が許可されたら窓口で医療費上限額ノートなどを受け取って完了です。自立支援医療自治体により多少差はあると思いますが、一連の流れとしてはこのようになります。

虐待によって精神的に傷を受けた人の助けにもなるこの制度。しかし手続きがちょっと面倒…
そういう方は無理をせず、可能であれば窓口で書類をもらう作業と提出する作業を誰かに代理で行ってもらうというのも手です(念のためお住まいの自治体のサイトなどで代理で可能か確認してみてくださいね)。

私自身、この制度にとても助けられています。
特に病院に通い始めた当初は毎週診察を受けていたので、医療費が大きな負担になった覚えがあります。
適切な治療をきちんと受けるためにも、自立支援医療制度を活用して無理なく通院を続けましょう!

まだ自立支援医療制度を受けていない、またはそんな方が近くにいらっしゃる方にはぜひこの制度を知ってもらい、活用していただきたいです♪



文:omelet(@milk832omelette)
【心理的虐待サバイバーのための自助グループ「ハートゲイザー」】:@heartgazer_svvr

家族にプレゼントを贈りたくないのは悪いこと?

こんにちは、omeletです。
今回は家族とプレゼントについて話したいと思います。

「家族」にプレゼントを贈る機会って意外と多いですよね。
誕生日、母の日、父の日、バレンタイン、クリスマス…などなど。他にも機会がある人もいるでしょう。
私は家族にプレゼントをあげようと思ったことはほとんどありません。幼少期には何度かあったとは思いますが、小学生になって以降はあまりなかったように思います。嫌だとさえ思っていました。
そもそも家族にプレゼントをあげる「文化」が理解できなかったという面もあります。なので高校生のときに友人がお母さんの誕生日プレゼントを選んでいたとき、「家族にプレゼントってあげるんだ!」ととても驚きました。それと同時に「家族にプレゼントを贈らない私は"孝行"していないのではないか」と罪悪感に駆られたのも否定できません。
それ以降、なぜ私は「家族」にプレゼントを贈ろうと思わないのか、嫌なのかという疑問を抱きました。当時その理由の候補に挙がったのは

・自分がもらうことに慣れてしまったから
・あげるのが億劫だから

という2つです。高校生であった当時はそんな自分が「ダメな人間」だと感じ、ひどく落ち込みました。
ですが今になって考えると、私は友達に対してはプレゼントを贈るのが大好きで、もらったら次の機会にこちらも渡すのが当たり前でした。そう考えると、私がプレゼントを贈るのが嫌なのは「相手が家族だから」ということに他ならないと言うことに気が付きました。
ではなぜ家族だから嫌なのか。「家族」に感謝ができなかった、もとい感謝したくなかったんです。
例えば幼少期、私には兄弟姉妹がいなかったため、誰かと一緒に遊ぶとなったら相手は主に両親でした。しかし両親は気紛れでしか遊んでくれないために私は一人遊びに没頭せざるを得ませんでした。
他にも私がいじめを受けていても我慢を強いる、夫婦喧嘩を見せる(なおかつ気を遣わせる)、誰かに嘘をつくことを強いるなど、私を尊重することがあまりなかったのです。
自分を尊重しない相手に感謝することができず、しかしそれでも感謝を求められるのが嫌で、結果として「家族にプレゼントを贈る」のが嫌いになったのではないかと思います。

家族にプレゼントを贈るのはとてもすてきなことだと思います。けれど贈るのが当たり前ではない、と私は声を大にして言いたいです。
「家族に贈りたくない」と思っている人の中には、「考えてみると自分は家族に尊重されていなかった」という人が少なからずいるのではないでしょうか。他にもいろいろな事情で贈ることに抵抗を覚える人もいるかと思います。

プレゼントというのは自分が贈りたい人に贈るものです。
自分を大切にしてくれない相手に「贈りたくない」と思うことは決して悪いことではありません。



文:omelet(@milk832omelette)
【心理的虐待サバイバーのための自助グループ「ハートゲイザー」】(@heartgazer_svvr)


母がしんどい

母がしんどい

私が受けた"虐待"と「疑うこと」

こんにちは、omeletです。
今回は私が両親(主に父から)受けた虐待の内容と疑問を持つことの大切さについてお話したいと思います。

「虐待」というと身体的虐待、いわゆる暴力を思い浮かべる人も多いと思いますが、私が受けた虐待は「心理的虐待」でした。
心理的虐待とは、子どもを監視する、暴言や攻撃的な行動などで子どもを萎縮させるなど直接的ではなく精神的に子どもを苦しめる虐待のことを言います。最近だと、宿題をしていなかったことを理由にゲームを破壊した高嶋ちさ子さんの行動が、この心理的虐待に当たるのかということで話題になっていますね。


では私が両親に何をされたかというと、

・私物を勝手に処分される
・親が不機嫌なときに乱暴に大きな音を立てられる(ドアの開け閉めや足音など)
・毎日のメール、電話を強制される
・バイト代を全てとられる(成人後)
奨学金を生活費や娯楽費に充てられる(成人後)

などですね。最後の二つは未成年の場合虐待とされない場合もありますが、成人後にされたため経済的DVに当たります。ちなみに20万ほどのバイト代は父親の事故の賠償金に使われ、今も返ってきていません。


怖いことにこのようなことをされてもそれが「普通」だと思ってたんですよね、当時の私は。



このツイートでも触れたのですが、心理的虐待は身体的虐待に比べて周りから見てもわかりづらく、「家庭内の問題」、「躾の一環」として捉えられてしまうのが問題の一つです。そして心理的虐待を受けている自分自身も「おかしい」と思えないというのが恐ろしいところです。

私が自分の家庭環境に疑問を抱いたのは、友人や恋人の家庭環境を知ったことがきっかけでした。もし他の家庭がどんな環境なのかを知ることができなかったら、今も私は家族から離れられていなかったでしょう。

もし「これって心理的虐待なのかな?」と思っている人は、自分以外の人に話を聞いてみるというのが大事だと思います。そして自分の家族をちょっとだけ離れたところから見てみる。そして「これっておかしい!」とはっきり疑問を持つことが自分を守る上でとても大切です。

「虐待を受けている」、「家族が自分を大切にしていない」と思ったら、どこでもいいので逃げてください。友達の家でも、親戚の家でもいいです。あなたがこれ以上傷つく前に距離を置いてください。

どんなに自分が傷ついても、傷つけた人たちは責任をとってはくれません。自分を第一に考えて、家族から「離れる」選択をとることは決して悪ではありません。


文:omelet(@milk832omelette)

【精神的虐待サバイバーのための自助グループ「ハートゲイザー」】:@heartgazer_svvr



毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

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笑顔でいるのがしんどい

笑顔って絶対必要なものなのでしょうか?


「辛いことがあっても笑顔」
この言葉、直向きさをアピールするためによく使われるイメージがありますよね。「辛い」というマイナスとされる感情を「笑顔」で帳消し、もしくはプラスにしている。つまり笑顔というものには強烈なプラスのパワーがあると考えられているということになります。
ここで一つ疑問です。「じゃあそんなプラスのパワーを持つ笑顔を浮かべていることは果たしていいことなのだろうか」。
マンガのキャラにもいますよね、いつも笑顔のキャラ。それは前向きなこと、元気なことの象徴で描かれることもあれば、一方で裏に何かを隠している、腹に一物抱えている象徴にもなっています。
笑顔というのは強烈なプラスのパワーを持つと同時に、その強烈さで裏にあるものを隠すという特性があるのではと思います。取り繕うのにまさに打ってつけの表情なんですね。特に負の感情を隠して、「自分は安全ですよ、危害を与える存在ではありませんよ」というアピールをするためにはもってこいなんです。
これを虐待の文脈に当てはめるとどうなるか。「危害を与える親や保護者を刺激しないように、できるだけ笑顔で過ごす」、「親や保護者のように危害を加えられたくないから、笑顔を浮かべて他の人を刺激しないようにする」のようなことになります。時には笑顔を浮かべていないと「なぜ不満そうなのか」という具合に、プラスの感情を表出していないことに親や保護者が不機嫌になります。何と理不尽な。

このことからわかるように、笑顔というのは単純なプラスの感情を表す記号ではなくて、できるだけ安全に過ごすための処世術でもあるんですね。
そう考えると一概に「笑顔を浮かべることはいいこと」とは言えないのではないでしょうか。笑顔で過ごすことが本来の自分を押し殺している状態、という方々も少なからずいるでしょうし。
なので私は、笑顔が必ずしも必要なものだとは思いません。むしろ、落ち込んでいるときや何かに憤っているときに無理に笑顔を浮かべることは自分への負荷になりかねません。
もちろん、何かしらの事情で笑顔でいなくてはいけないときもあるかもしれません。けれど場が許す限りは自分の感情を抑えることはないと思います。

笑顔でいるのが「しんどい」ときは、一言二言でも自分の感情を表に出すほうがいいというサインなので、適度に息抜きをしながら日々を過ごしていきましょうね(もちろん私も!)。

語り手:omelet(@milk832omelette)
【精神的虐待サバイバーのための自助グループ:ハートゲイザー(@heartgazer_svvr)】


母がしんどい

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それでも親子でいなきゃいけないの? (akita essay collection)

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heartgazerとは

こんにちは。
omeletです。
この度自身の経験を文章にしたいと思い、ブログを始めてみました。

まずはこのブログのタイトルや自助団体の名前にもなっている「ハートゲイザー」の意味について説明したいと思います。
皆さんは「stargazer」という単語を知っているでしょうか。この単語は直訳すると「星を見る人」という意味なのですが、「gaze」という言葉には「見つめる」、「まなざす」という意味が含まれています。
私たちは虐待によって心に傷を受けています。その心(heart)の傷(hurt)を見つめ直す(gaze)という意味を込めて「ハートゲイザー」と名付けました。

私は精神的・経済的な虐待を受け、今現在も鬱と戦っています。私の他にも、精神的な傷や精神的虐待と戦っている人がたくさんいるでしょう。
少しでもその人たちの助けになりたい、という思いで今こうして筆を執っています。
私の体験談やハートゲイザーの存在が、精神的虐待サバイバーの方々の支えになれば幸いです。

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

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