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I am the heartgazer. ACの独り言

心理的虐待サバイバーの経験や考察を執筆していきます。

「経済的虐待」という概念の提唱

こんにちは、omeletです。

今回は「虐待」の種類について、「経済的虐待」という概念を提唱したいと思います。

 

「虐待」というものは大別すると以下の4つに分類されます。

 

・身体的虐待(例:肉体的な暴力)

心理的虐待(例:暴言)

育児放棄(例:医療ネグレクト

性的虐待(例:子どもにたいする性行為)

 

子どもに行われる加害はおおよそこれらに属すると考えられていますが、私はここに「経済的虐待」というものを加えて考えたいと思っています。

現在の法律においては子どもの財産に対して以下のような規定が為されています。

「親権を行なう者は、子の財産を管理し、かつ、その財産に関する法律行為についてその子を代表する」(民法824条)

つまり、親は子どもの財産を管理する権利があると言えます。「管理」については

1.「管理」には、事実行為も法律行為も含まれ、法律行為には処分も含まれます。(櫻井法務行政書士オフィス, 親子関係(27)・・・財産管理権

という解釈があります。しかし「管理」をする権利があるとはいえ、例えばそれを娯楽費や生活費の補填など子どものためではなく親自身のために使うというのは「管理」と言えるのか疑問が残るところです。なぜなら子どもの財産の本来の所有者は子ども自身であり、本来は子どもが子どもの意志で使うものです。それを代わりに使用する立場の人間が自身のために勝手に使うことは、子どもの十分な合意を得て行っているとは考えにくく、子どもの意志や権利を過剰に迫害しているのではないかと考えられます。加えて、この権利には以下のような義務が発生すると言われています。

3.子どもが成年に達した時は、親権者は、遅滞なく管理計算する義務があります。(櫻井法務行政書士オフィス, 親子関係(27)・・・財産管理権

このことから、親は子ども時代に管理されていた財産を「どのような財産があり、どのような理由でどのくらい使用したのか」ということを明らかにしなければならないということです。子どもの財産を何らかの用途に使った場合、それを子どもに説明する責任があるのです。

娯楽費や生活費の補填を勝手に子どもの財産で行う親がそのような「説明責任」を果たすということは考えにくいでしょう。すなわち、「子どもの財産を自分のもののように勝手に使うこと」は不法行為に繋がる行為ということができます。

 

以上のことから、「不当な金銭や財産の管理」は子どもの抑圧となりうると言えます。そのため、これを「虐待」の一種とすることも可能だと私は主張します。そして同時に「経済的虐待」を以下のように定義します。

 

「経済的虐待」:保護者が子どもの財産を、本人の合意なしに、あるいは脅迫や虚偽、それに類する行為によって得られた合意によって利用すること。

 

経済的な問題は、財産権が「未成年が制限される権利」として代表的なものの一つであるため、「虐待である」「加害である」と言いづらい側面があると思います。その一方で、親による金銭・経済的な搾取に悩んでいる人々は少なくないのではないかと感じています。

このことを「虐待」と規定することによって、少なからず救われる人がいるはずです。親による金銭的・経済的被害を受けた人が「これは虐待である」と声を上げることで、「虐待」としての認知が広まり、将来悩む人の助けになれればと考えています。

 

 

 

<筆>

omelet〔烏丸 遼〕:毒親持ちのAC(ヒーロー・ケアテイカー・ロストワン)でセクシャルマイノリティの23歳、研究家・文筆家志望。大学で社会学を学び、勢いに任せてAC自助グループ「ハートゲイザー」を結成。毒親やACについて社会学的に分析できないか、日々模索中。

twitter.com

 

お仕事依頼等はこちら→heartgazer.survivor@gmail.com

毒親と「discourage」の発話

こんにちは、omeletです。

今回は、毒親と「discourage」の発話についてお話したいと思います。

まずは私の経験談をお聞きください。

 

数年前、高校生だった私には夢がありました。その夢を叶えるために専門学校に行きたい、と心の中で思っていました。

しかし、当時通っていたのは地元では有名な進学校であり、大学に行くのが当たり前。家でもそう思われていました。

専門学校に行きたい、ということをなかなか言い出せなかった私は、ささやかな決意表明として模試の第1志望校に専門学校を書き、その結果を親に見せたのです。

父親は「こんなくだらないところ」と激昂し、母親は「言い返せないようじゃどうせうまくいかない」と言いました。

 

この親の反応には様々なことを考えさせられますが、今回は母親の「どうせうまくいかない」という発言に焦点を当てて考えていきたいと思います。

「どうせ~なんだから」というのはいわゆる「discourage(自信を失わせる)」の言い回しであるということができます。つまり、失敗や諦めを前提とした定型句ということです。この言葉のあとには、相手が失敗したり諦めた場合(そう見えた場合も含む)に「ほら、やっぱり」という発話が続くことが多いです。

私の場合も父親のあまりの剣幕と、また元々親に反抗することができなかったこともあって押し黙ってしまい、それを見た母親は「やっぱり。親の反対くらい跳ね返せないなら無理。」と嘲笑いました。

この「discourage」の発話というのは普段の会話の中でも繰り返し為されることも多く、そのため相手の無意識のうちに刷り込まれてしまうことがあります。他にも「また~したのか」、「~しても無駄」と言った発話が「discourage」の発話として挙げられます。

他の「discourage」の例としては、私は父親に幼いころから「ぶーちゃん」と呼ばれていたのですが、その結果自分の容姿に自信がなく「自分はおしゃれをしてはいけない」と思い込み、地味な服装をあえて選んでいた、ということがあります。これは直接的な文脈を使わずに自信を失わせていた例で、「呼び名」という普段繰り返し使う言葉にマイナスなメッセージを込めることによって、直接的な誹謗中傷でなくても相手の自尊心を傷つけています。

 

この「discourage」の発話をする毒親は少なくありません。なぜなら、毒親というのはスーザン・フォワードの『毒になる親:一生苦しむ子供』(2001, 講談社)の中で定義されているように、「子どもに対するネガティブな行動パターンが執拗に継続し、それが子供の人生を支配するようになってしまう親」(pp.9)であり、その「ネガティブな行動パターン」の一例が「discourage」の発話であるからです。「discourage」の発話は子どもに少なからず影響を与え、「支配」する―そしてそれは子ども本人の思考パターンにも影響を与えるのではないかと考えられます。

私自身、このような親の「discourage」の発話を受けて、「失敗したらどうしよう」、「上手くいかなかったらどうしよう」ということを常に考える人間に成長しました。毒親から離れても、その「discourage」の発話に「支配」されているのです。

では、この「支配」から抜け出すにはどうしたらいいのか。私は「discourage」の発話を「courage」の発話に意識的に変えていくことが必要であると主張します。つまり、自分の中の「どうせ~だから」を「きっと~できる」というように変換することが重要だと考えます。

どうしてかというと、行動する前から失敗や諦めを過剰に想定してしまうと、実際失敗した時に「やっぱり駄目だった」とその思い込みを強化してしまうことに繋がるからです。そして強化された思い込みは、他の機会にも脳裏によぎって、失敗を引き寄せまた強化される―その繰り返しを発生させてしまいます。その連鎖を止めるための「courage」の発話なのです。

仮に失敗をしたとしても、「今回は~だから駄目だった。だから次回はそこを改善してみよう。」と分析し、前向きに捉えて同じ失敗を繰り返さないことで、「discourage」の発話を極力避けることが出来ます。

もちろん、今まで毒親に浴びせられた「discourage」の発話は簡単には頭から離れないかもしれません。ですが、少しずつでも「courage」の発話に変えていくことによって、「discourage」の発話の連鎖から抜け出すことが出来るはずです。

 

 

 

<筆>

omelet〔烏丸 遼〕(@milk832omelette):毒親持ちのAC(ヒーロー・ケアテイカー・ロストワン)で研究家・文筆家志望。大学で社会学を学び、勢いに任せてAC自助グループ「ハートゲイザー」を結成。毒親やACについて社会学的な分析ができないか、日々模索中。

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毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

 

 

家族の機能不全のメカニズム~「虐待」はなぜ起こるのか

こんにちは、omeletです。

今回は私が学んでいる「社会学」に関連した記事を書いていきます。

『迷走する家族:戦後家族モデルの形成と解体』(山田昌弘, 2005, 有斐閣)、『毒になる親:一生苦しむ子供』(スーザン・フォワード, 玉置悟訳, 2001, 講談社)の二冊の書籍を用いて、「家族の機能不全のメカニズム」の検討を行います。久しぶりに改まって社会学について書くのと、家族社会学についてしっかりとした文章を書くのは初めてなので、未熟な点は多々あるとは思いますが温かく見守っていただければと思います。

 

 

山田昌弘は『迷走する家族:戦後家族モデルの形成と解体』(有斐閣, 2005)の中で、現代日本における家族問題を以下の3つのように分けている。

 

・家族のマクロ問題(社会的機能不全)

・家族のミクロ問題(個人的機能不全)

・価値観の不適合性

 

機能不全家族を語る上で深く関係すると思われるのは上2つの概念である。それぞれの用語の詳しい解説はここでは省略するが、山田は本著の中で

「マクロ問題とミクロ問題は連動している。〔・・・・・・〕その結果、①②家族の社会的機能が失われるというロジックで、日本の家族問題が解釈できると考える。」(山田昌弘, 『迷走する家族:戦後家族モデルの形成と解体』, 2005)

と述べている。つまり、「家族に対する個人的不満が高まることにより、家族が社会的な機能を果たさなくなる」ということである。しかしここで考えたいのは「虐待はその論理で語れるのか」という問題だ。

山田は「家族に対する不公平感、不自由感、情緒的不満」が高まっていると記している(pp.56)。これは「家族」という概念自体、あるいはある家族員に対して不満を抱いているという理解でいいだろう。では家族員の抱く不満が虐待に直結するだろうかと言うことを考えるとそうとは言えないはずだ。そもそも虐待というのは親から子へ行われるものである。この文脈では親の不満が子どもに行くことはあれど、反対は考えにくい。なぜなら親子の間には権力関係が存在しているからである。弱者にとって強者の不満は脅威になるが、逆は少ない。弱者の不満があるからと言って、強者の生活や命が脅かされることはほとんどないのである。このことは、先に提示した論理における不満を抱く「主体」が親に限定されることを示している。

 

また、スーザン・フォワードは『毒になる親:一生苦しむ子供』(玉置悟訳, 2001, 講談社)の中で暴力を振るう親の共通点として以下のことを挙げている。

 

・自分の衝動をコントロールする能力が驚くほど欠如していること

体罰があたりまえのことになっている傾向があること

・情緒面では子供のまま成長できていないこと

・多くがアルコールや薬物の依存症であること

 

私は特に1番目と3番目に注目した。この2つのことは身体的暴力以外の精神的な暴力を振るう親にも当てはまるのではないかと考えた。

つまり「情緒面が子供のままなので、相手が自分の思うとおりにならないと気が済まない」のではないかということである。実際、『毒になる親』の項目の中に「コントロールばかりする親」というものがあり、その例が提示されている。すなわち、先に挙げた2点については身体的・精神的問わず暴力を振るう親の共通点であるということが言える。

 

以上のことから虐待というのは「子どもを思い通りにしようとして行われる行為」と位置付けることが可能だろう。このことは、虐待という行為は何らかの親の意志によって引き起こされることを示している。そしてこれは山田の言う「情緒的不満」と地続きにあるものとも言える。

思い通りにならない子どもに対して親は「情緒的不満」を抱き、「虐待」を行う。これが一つの虐待のメカニズムと言うことが出来る。この文脈においては不満を抱く主体は「親」やそれに類する「虐待加害者」に限定される。

このような主体の限定を前提としたうえで、山田の主張は一定の正当性を持っていると言えるだろう。

 

 

 

<筆>

omelet(@milk832omelette):毒親持ちのAC(ヒーロー・ケアテイカー・ロストワン)でセクシャルマイノリティの23歳の研究家志望。大学で社会学を学び、勢いのままAC自助グループ「ハートゲイザー」を結成。毒親やACについて社会学的に分析できないか、日々模索中。

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「家出人」

 

家出をした。

3月末、大学4年生への進級を控えた時期だった。

就活真っ只中のその日も面接で、リクルートスーツに身を包んだ私は必要最低限のものを大きめのバッグに詰め込む。

家出のきっかけは、私からすれば「日常」的なことだった。

金にだらしのない父親が「数万貸してくれ」と言ってきたのだ。

そのこと自体は珍しくもない。前月も、何ならその前の月も私は父親に金を渡した。

けれどその日はなぜか、限界が来た。

帰りたくないと思った。

私は無我夢中で荷物を詰め込んだ後、父親と暮らした家を後にした。

 

そこからはあっという間だった。

母親に戻る意思がないことを伝えると、彼女は「そこまで戻りたくないのなら戻らなくていい」と言った。

呆気ないくらいあっさりと、父親のいない暮らしが始まった。

父親のドスドスという足音や乱暴にドアを閉める音が聞こえない日々は快適だった。

そんな生活が数か月続いたとき、友人から「会わないか」という誘いを受けた。

その友人は私の現在の状況について理解してくれていて、自然とその話をする流れになった。

「大変だったね」

「ありがとう」

「いや、だって…お金取られていたんでしょ、ひどいよ。親じゃないよ。」

彼女の「親じゃない」という言葉が妙に胸にしっくり来た。今まで散々苦しめられて、お金だってとられて、だけど自分の親で…という葛藤が、彼女の一言によって解消された気がしたのだ。

自分は本当は、あの人を親だと認めたくなかったんだ。

父親だった人は、私のことを自慢の「娘」だと思っていたらしい。

小中高と成績がよく、大学も名の知れたところに入ったからだろう。

けれどその人は私に対して数々の「不当な扱い」をした。

お金をせびること然り、からかい半分で体に触れること然り、乱暴な行動で威圧すること然り…言うならば、あの人は「大きな子ども」だった。

私はそんな「子ども」のあの人に抗議をすることもできず、ただ言われるがままになっていた。

けれど、初めて反抗したのだ。家出という形で。

それは自分にとって革命のような出来事であり、それと同時に罪悪感を覚えるものでもあった。

あの人が来たらどうしよう、とも思った。

不当な扱いをしたのはあちらで、私は正当な抗議をしただけなのに恐れや不安が渦巻く。

私は徹頭徹尾「家出人」なのだ。捜索願でも出されたら連れ戻されてしまう可能性だってある。

そう思うと、ストレスで心臓が潰されそうだった。

それでももう後戻りはできない。

あそこにいたら私自身が潰されてしまうからだ。

私はあの人のいない日常を楽しむ余裕がないまま、恐怖を抱いて日々を過ごすしかなかった。

 

私は結局家出人のまま、父親に一切会うことなく一人暮らしを始めた。

今も自分の居場所が父親に知れたらどうしようとびくびくしている。

私の精神は、まだ家出人のままだ。

 

 

 

 

<筆>

omelet(@milk832omelette):毒親持ちのAC(ヒーロー・ケアテイカー・ロストワン)でセクシャルマイノリティの23歳の研究家志望。大学で社会学を学び、勢いのままAC自助グループ「ハートゲイザー」を結成。毒親やACについて社会学的に分析できないか、日々模索中。

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ACとしての自分と向き合う方法

こんにちは、omeletです。

今日は「ACの自分自身とどう向き合うか」を考えていきたいと思います。

 

 

アダルトチルドレン―狭義にはアルコール依存症の人がいる家族のもとに生まれた子ども、転じて今では機能不全家庭に生まれた子ども全般を指す用語です。

毒親のもとに育った人の多くがこのアダルトチルドレンに含まれるのではないかと思います。なぜなら、毒親は子どもの人生を多かれ少なかれ支配しようとするため親として求められている役割を果たせていない部分が多く、それにより家庭全体に何かしらの問題が表れているはずだからです。

アダルトチルドレンとして生きていくには、まず第一歩として「自分がアダルトチルドレンである」という自覚が必要です。つまり今までの生きにくさが家庭環境由来であると認識することが求められてきます。

アダルトチルドレンとしての自分を認めることは、自分の親や家庭自体に問題があったと認めることに他なりません。今まで自分が育ってきた環境を否定するのはなかなか難しく、人によっては認めたくないと思う人もいるでしょう。親や家庭というものは幼い時分に多くの時を過ごす場所であり、それゆえに自らの根幹を創り出したいわば今の自分の「ベース」となるものです。それを否定することは、今の自分の存在の否定にもつながりかねません。そのため、アダルトチルドレンであると認めることそれ自体が大きな一歩であると言えるでしょう。

では認めたあとはどうすればいいのか。アダルトチルドレンである自分と上手く付き合って生きていかなければなりません。

前述したように、アダルトチルドレンは機能不全家庭に育った子どもです。つまり親の作った負債を生まれながらにして背負わされていることに他なりません。なのでその「負債」の所有権を手放す必要があると考えます。具体的にどうするのかというと、その「負債」―性格かもしれませんし、経済的環境、学歴やコンプレックス、様々なものがあると思いますが、それを「自分のせいだ」と思わないようにするのです。もちろん、今まで自身で選択し行動してきた結果なのかもしれません。けれど、その選択をするに至った根源は親が背負わせた「負債」にあると考えます。「自分のせいではない」、そう思うだけで生きやすくなる部分があるはずです。

また、過去親や加害者にされた経験を「ひどいことをされた」と認識し、時には怒ることも重要なことだと考えます。はっきりと怒りを示すことで、「いや、あれは私のためにやったことなのかもしれない」と加害者を弁護し、思い悩むことから脱することが出来るからです。

毒親や虐待加害者は多くの場合、自分に非常に近い人間です。そのために、自分に害を与えられた時に「あれは仕方がなかったんだ」、「何か理由があったんだ」と相手を正当化しようとする場合が少なくありません。そして正当化する際に、自分の内側で葛藤が生じます。「自分は嫌な思いをしたけれど、仕方なかった」などといった形です。その葛藤は時に終わりがなく、非常に精神を摩耗します。ですが怒りを表明することによって、「自分は苦しんだんだ」と自分の辛さを肯定でき、そのような葛藤を軽減することができると私は考えています。

 

 

以上のように、アダルトチルドレンとしての自分と付き合っていく際には

 

①「負債」の所有権を放棄する

②自身の被害経験を肯定し、怒りを表明する

 

この2つのことを心がければ、上手く関係を築けるのではと思います。

 

 

 

<筆>

omelet(@milk832omelette):毒親持ちのAC(ヒーロー・ケアテイカー・ロストワン)でセクシャルマイノリティの23歳の研究家志望。大学で社会学を学び、勢いのままAC自助グループ「ハートゲイザー」を結成。毒親やACについて社会学的に分析できないか、日々模索中。

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「サバイバーズスター」が示す役割とその再考~「パトロン」と「ステップパーソン」

みなさん、こんにちは。omeletです。

今回は「サバイバーズスター」が表す役割と、その役割の再考を行っていきたいと思います。

 

皆さんは「サバイバーズスター」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?これは虐待を受けて育った命を知ってもらうための活動であり、そのシンボルマークのことです。

survivorsstar.themedia.jp

このシンボルマークは虐待を受けた人々(以下虐待サバイバー)が果たしている主な5つの役割を表しています。その役割というのは以下のようなものになります。

 

・ヒーロー

・ケアテイカー

・マスコット(ピエロ)

スケープゴート

・ロストワン

 

各役割の詳細な説明はサバイバーズスターのサイトに譲り、ここではそれぞれの役割がどのように表れてくるのか、ということについて述べて行きたいと思います。

 

基本的に前述した5つの役割というのは、虐待加害者との間での役割を示していると考えられます。そしてこれらの役割は、サバイバーズスターのサイトの言葉によると「共依存(きょういぞん)のルールを強いられることをはじめとするさまざまな虐待の中でそれは「5つの役わり」として表れます。」(サバイバーズスター, 

https://survivorsstar.themedia.jp/pages/168845/5roles)と述べられており、「共依存」の関係の中で発現するものだということがわかります。

共依存とは「アルコール依存症など問題を抱える家族がいる場合、面倒をみ続け、相手に必要とされることを自己評価のよりどころとして、その関係に依存する状態。」(大辞林, アプリ)という一つの定義づけがなされています。つまり虐待の文脈で読みかえると虐待サバイバーは、「虐待加害者に必要とされることを自己評価のよりどころとして、求められる役割を演じる」ということが言えるでしょう。

そして必要とされることを自己評価のよりどころとしているということは、「役割を果たすこと」=自分の存在意義と考える人も少なくないということが言えます。そのため幼い頃から役割を演じることを求められてきた虐待サバイバーは、虐待加害者相手ではなくてもそのような役割を演じようとする場合があります。これは前回の記事で触れた「自己肯定感」と深く関わってくるのですが、自分を肯定するために役割を果たして周りに認めてもらおうという心の動きが発生するのではと考えています。このように「5つの役わり」というのは、必ずしも虐待が行われた環境だけで発現するわけではなくその人の人生において非常に強い影響力を持っているということがわかります。

 

しかし、ここで私はサバイバーズスターの「5つの役わり」というものを改めて考えたいと思います。なぜなら、私や私の友人の話を聞くとこの「5つの役わり」に収まらない虐待経験があり、同じようなことで苦しんでいる人が他にも見受けられたからです。

具体的には、親に娯楽費などを搾取されたり、自信を失わされたり(discourageされる)というものです。私はこれらのことも「役割」として説明できるのではないかと考え、以下の2つの役割を定義しました。

 

パトロン:親の娯楽費や生活費の不足分などの補填を求められる、金銭的に搾取される役割。断ると「家族のため」、「生活のため」という脅しを受けることもある。

・ステップパーソン:ことあるごとに親に「どうせお前ができるわけない」、「そんなことやめておけ」など失敗することやできないことを期待される役割。親の精神的安定のための踏み台とされていることが多い。

 

この2つの役割は自分から進んで果たそうとする役割ではありません。むしろ親から背負わされた役割といったほうがよいでしょう。しかし、この役割から脱することはなかなか難しく、時には「親のためなら」、「自分が我慢することで家庭が安定するのなら」と消極的にですが、自らその役割を選び取ってしまうことすらあります。

これらの役割は、既存の「ケアテイカー」、「スケープゴート」の一部としても捉えることができますが、あえて別にすることで悩んでいる人が「これ自分のことかも」と虐待に気付くきっかけになるのではと思います。

 

 

他にもさまざまな虐待を受けている人がいるでしょうし、中には「自分は虐待されているのだろうか」と悩んでいる人もいるかもしれません。そういった状況の中で、「自分が受けたこういう行為は虐待だ」、「虐待の中でこういう役割を果たそうとする人間がいる」と声を上げることはそういった人々が「虐待」を認識する一助となると考えます。

今現在、「パトロン」、「ステップパーソン」というのは私一人が提唱している概念に他なりませんが、声を上げて少しずつでも認識が広がって行けばそういった加害者の行為に苦しんでいる人が楽になる助けになるんじゃないかと思います。

 

 

 

 

<筆>

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毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

 

 

 

迷走する家族―戦後家族モデルの形成と解体

迷走する家族―戦後家族モデルの形成と解体

 

 

毒親と「自己肯定感」

こんにちは、omeletです。

今回は毒親と「自己肯定感」の関係について書いていきたいと思います。

 

はじめに、毒親のタイプについて考えていきたいと思います。必要なものを与えない親、暴力を振るう親、交友関係を制限する親…毒親にも色々なタイプがいると思いますが、「子どもを自分の思うようにコントロールしようとする」毒親というのが存在します。

毒親について書かれている本の中でも有名な「毒になる親:一生苦しむ子供(スーザン・フォワード, 玉置悟訳, 2001)」の中でも取り上げられています。この本の67から68頁にかけて、コントロールしようとする親は自分自身に強い不安や恐怖感があり、そのような親にコントロールされている子供もまた不安感や恐怖心の強い人間になってしまうことも多いという内容が記されています。つまり、「親の自己肯定感のなさが子どもの自己肯定感の低さにつながる」ということです。

今振り返ってみると、私が何かするたび母親は「あんたが何かしたら私のせいだってことにされるからしっかりしなさい」と言っていた記憶があります。彼女の中では「子どもの評価=自分の評価」であり、周囲からどう思われるかというのが重要だったのではないかということが窺えます。もし自己肯定感があったなら、周囲の評価に自分の価値が左右されることがなく、私に対してもあのような発言はしなかったのではないか、とこの本を読んだときに考えました。

そのような自己肯定感の低い親に育てられた私は、まさに「不安感や恐怖心の強い人間」、自己肯定感のない人間に育ちました。何かしたら親に見捨てられるんじゃないか、周りからどう思われるか…この考え方が常に頭の底にある状態で生きていました。それは親からの虐待に気付き、距離を置いた今でも脳裏に焼き付いています。

 

親が自己肯定感を持っていないことで子の自己肯定感も失われる…この「自己肯定感の欠落」は、親から子に背負わされた負の遺産ということができるでしょう。そして私たちもまた、気を付けなければ次の世代にこの欠落を背負わせてしまうということにも留意しなければなりません。

それを防ぐためにも、「自分自身の自己肯定感」を底上げする必要があります。具体的には、些細なことでも自分を褒める・認める、毒親など自分の自己肯定感を減らす相手とは出来るだけ距離を置く、といったようなことです。

また、自分を蔑ろにしない、自分に対してお金を使うというのも大事なことなのではないかと思います。例えば、「今日は頑張ったから」と自分へのご褒美を買ったり、いつもは我慢して買わない洋服を買ったり…そういった目に見える形での「自分のために対価を支払う」経験は、自分の価値を認めるうえで大切な役割を果たすと考えます。

 

親から背負わされた「自己肯定感のなさ」は一朝一夕では解決しないかもしれません。

ですが、少しでも「自分は頑張ったな」と思えることがあったらぜひ自分を褒めてください。そして余裕があったら、普段頑張っているなと思っている人に「頑張ってるね」と声をかけてみてください。それが繋がり合って、たくさんの人の自己肯定感を底上げすることにつながるのではないかと思います。

 

 

 

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毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

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