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I am the heartgazer. ACの独り言

心理的虐待サバイバーの経験や考察を執筆していきます。

家族の機能不全のメカニズム~「虐待」はなぜ起こるのか

こんにちは、omeletです。

今回は私が学んでいる「社会学」に関連した記事を書いていきます。

『迷走する家族:戦後家族モデルの形成と解体』(山田昌弘, 2005, 有斐閣)、『毒になる親:一生苦しむ子供』(スーザン・フォワード, 玉置悟訳, 2001, 講談社)の二冊の書籍を用いて、「家族の機能不全のメカニズム」の検討を行います。久しぶりに改まって社会学について書くのと、家族社会学についてしっかりとした文章を書くのは初めてなので、未熟な点は多々あるとは思いますが温かく見守っていただければと思います。

 

 

山田昌弘は『迷走する家族:戦後家族モデルの形成と解体』(有斐閣, 2005)の中で、現代日本における家族問題を以下の3つのように分けている。

 

・家族のマクロ問題(社会的機能不全)

・家族のミクロ問題(個人的機能不全)

・価値観の不適合性

 

機能不全家族を語る上で深く関係すると思われるのは上2つの概念である。それぞれの用語の詳しい解説はここでは省略するが、山田は本著の中で

「マクロ問題とミクロ問題は連動している。〔・・・・・・〕その結果、①②家族の社会的機能が失われるというロジックで、日本の家族問題が解釈できると考える。」(山田昌弘, 『迷走する家族:戦後家族モデルの形成と解体』, 2005)

と述べている。つまり、「家族に対する個人的不満が高まることにより、家族が社会的な機能を果たさなくなる」ということである。しかしここで考えたいのは「虐待はその論理で語れるのか」という問題だ。

山田は「家族に対する不公平感、不自由感、情緒的不満」が高まっていると記している(pp.56)。これは「家族」という概念自体、あるいはある家族員に対して不満を抱いているという理解でいいだろう。では家族員の抱く不満が虐待に直結するだろうかと言うことを考えるとそうとは言えないはずだ。そもそも虐待というのは親から子へ行われるものである。この文脈では親の不満が子どもに行くことはあれど、反対は考えにくい。なぜなら親子の間には権力関係が存在しているからである。弱者にとって強者の不満は脅威になるが、逆は少ない。弱者の不満があるからと言って、強者の生活や命が脅かされることはほとんどないのである。このことは、先に提示した論理における不満を抱く「主体」が親に限定されることを示している。

 

また、スーザン・フォワードは『毒になる親:一生苦しむ子供』(玉置悟訳, 2001, 講談社)の中で暴力を振るう親の共通点として以下のことを挙げている。

 

・自分の衝動をコントロールする能力が驚くほど欠如していること

体罰があたりまえのことになっている傾向があること

・情緒面では子供のまま成長できていないこと

・多くがアルコールや薬物の依存症であること

 

私は特に1番目と3番目に注目した。この2つのことは身体的暴力以外の精神的な暴力を振るう親にも当てはまるのではないかと考えた。

つまり「情緒面が子供のままなので、相手が自分の思うとおりにならないと気が済まない」のではないかということである。実際、『毒になる親』の項目の中に「コントロールばかりする親」というものがあり、その例が提示されている。すなわち、先に挙げた2点については身体的・精神的問わず暴力を振るう親の共通点であるということが言える。

 

以上のことから虐待というのは「子どもを思い通りにしようとして行われる行為」と位置付けることが可能だろう。このことは、虐待という行為は何らかの親の意志によって引き起こされることを示している。そしてこれは山田の言う「情緒的不満」と地続きにあるものとも言える。

思い通りにならない子どもに対して親は「情緒的不満」を抱き、「虐待」を行う。これが一つの虐待のメカニズムと言うことが出来る。この文脈においては不満を抱く主体は「親」やそれに類する「虐待加害者」に限定される。

このような主体の限定を前提としたうえで、山田の主張は一定の正当性を持っていると言えるだろう。

 

 

 

<筆>

omelet(@milk832omelette):毒親持ちのAC(ヒーロー・ケアテイカー・ロストワン)でセクシャルマイノリティの23歳の研究家志望。大学で社会学を学び、勢いのままAC自助グループ「ハートゲイザー」を結成。毒親やACについて社会学的に分析できないか、日々模索中。

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