「家出人」
家出をした。
3月末、大学4年生への進級を控えた時期だった。
就活真っ只中のその日も面接で、リクルートスーツに身を包んだ私は必要最低限のものを大きめのバッグに詰め込む。
家出のきっかけは、私からすれば「日常」的なことだった。
金にだらしのない父親が「数万貸してくれ」と言ってきたのだ。
そのこと自体は珍しくもない。前月も、何ならその前の月も私は父親に金を渡した。
けれどその日はなぜか、限界が来た。
帰りたくないと思った。
私は無我夢中で荷物を詰め込んだ後、父親と暮らした家を後にした。
そこからはあっという間だった。
母親に戻る意思がないことを伝えると、彼女は「そこまで戻りたくないのなら戻らなくていい」と言った。
呆気ないくらいあっさりと、父親のいない暮らしが始まった。
父親のドスドスという足音や乱暴にドアを閉める音が聞こえない日々は快適だった。
そんな生活が数か月続いたとき、友人から「会わないか」という誘いを受けた。
その友人は私の現在の状況について理解してくれていて、自然とその話をする流れになった。
「大変だったね」
「ありがとう」
「いや、だって…お金取られていたんでしょ、ひどいよ。親じゃないよ。」
彼女の「親じゃない」という言葉が妙に胸にしっくり来た。今まで散々苦しめられて、お金だってとられて、だけど自分の親で…という葛藤が、彼女の一言によって解消された気がしたのだ。
自分は本当は、あの人を親だと認めたくなかったんだ。
父親だった人は、私のことを自慢の「娘」だと思っていたらしい。
小中高と成績がよく、大学も名の知れたところに入ったからだろう。
けれどその人は私に対して数々の「不当な扱い」をした。
お金をせびること然り、からかい半分で体に触れること然り、乱暴な行動で威圧すること然り…言うならば、あの人は「大きな子ども」だった。
私はそんな「子ども」のあの人に抗議をすることもできず、ただ言われるがままになっていた。
けれど、初めて反抗したのだ。家出という形で。
それは自分にとって革命のような出来事であり、それと同時に罪悪感を覚えるものでもあった。
あの人が来たらどうしよう、とも思った。
不当な扱いをしたのはあちらで、私は正当な抗議をしただけなのに恐れや不安が渦巻く。
私は徹頭徹尾「家出人」なのだ。捜索願でも出されたら連れ戻されてしまう可能性だってある。
そう思うと、ストレスで心臓が潰されそうだった。
それでももう後戻りはできない。
あそこにいたら私自身が潰されてしまうからだ。
私はあの人のいない日常を楽しむ余裕がないまま、恐怖を抱いて日々を過ごすしかなかった。
私は結局家出人のまま、父親に一切会うことなく一人暮らしを始めた。
今も自分の居場所が父親に知れたらどうしようとびくびくしている。
私の精神は、まだ家出人のままだ。
<筆>
omelet(@milk832omelette):毒親持ちのAC(ヒーロー・ケアテイカー・ロストワン)でセクシャルマイノリティの23歳の研究家志望。大学で社会学を学び、勢いのままAC自助グループ「ハートゲイザー」を結成。毒親やACについて社会学的に分析できないか、日々模索中。
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