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I am the heartgazer. ACの独り言

心理的虐待サバイバーの経験や考察を執筆していきます。

ACとしての自分と向き合う方法

こんにちは、omeletです。

今日は「ACの自分自身とどう向き合うか」を考えていきたいと思います。

 

 

アダルトチルドレン―狭義にはアルコール依存症の人がいる家族のもとに生まれた子ども、転じて今では機能不全家庭に生まれた子ども全般を指す用語です。

毒親のもとに育った人の多くがこのアダルトチルドレンに含まれるのではないかと思います。なぜなら、毒親は子どもの人生を多かれ少なかれ支配しようとするため親として求められている役割を果たせていない部分が多く、それにより家庭全体に何かしらの問題が表れているはずだからです。

アダルトチルドレンとして生きていくには、まず第一歩として「自分がアダルトチルドレンである」という自覚が必要です。つまり今までの生きにくさが家庭環境由来であると認識することが求められてきます。

アダルトチルドレンとしての自分を認めることは、自分の親や家庭自体に問題があったと認めることに他なりません。今まで自分が育ってきた環境を否定するのはなかなか難しく、人によっては認めたくないと思う人もいるでしょう。親や家庭というものは幼い時分に多くの時を過ごす場所であり、それゆえに自らの根幹を創り出したいわば今の自分の「ベース」となるものです。それを否定することは、今の自分の存在の否定にもつながりかねません。そのため、アダルトチルドレンであると認めることそれ自体が大きな一歩であると言えるでしょう。

では認めたあとはどうすればいいのか。アダルトチルドレンである自分と上手く付き合って生きていかなければなりません。

前述したように、アダルトチルドレンは機能不全家庭に育った子どもです。つまり親の作った負債を生まれながらにして背負わされていることに他なりません。なのでその「負債」の所有権を手放す必要があると考えます。具体的にどうするのかというと、その「負債」―性格かもしれませんし、経済的環境、学歴やコンプレックス、様々なものがあると思いますが、それを「自分のせいだ」と思わないようにするのです。もちろん、今まで自身で選択し行動してきた結果なのかもしれません。けれど、その選択をするに至った根源は親が背負わせた「負債」にあると考えます。「自分のせいではない」、そう思うだけで生きやすくなる部分があるはずです。

また、過去親や加害者にされた経験を「ひどいことをされた」と認識し、時には怒ることも重要なことだと考えます。はっきりと怒りを示すことで、「いや、あれは私のためにやったことなのかもしれない」と加害者を弁護し、思い悩むことから脱することが出来るからです。

毒親や虐待加害者は多くの場合、自分に非常に近い人間です。そのために、自分に害を与えられた時に「あれは仕方がなかったんだ」、「何か理由があったんだ」と相手を正当化しようとする場合が少なくありません。そして正当化する際に、自分の内側で葛藤が生じます。「自分は嫌な思いをしたけれど、仕方なかった」などといった形です。その葛藤は時に終わりがなく、非常に精神を摩耗します。ですが怒りを表明することによって、「自分は苦しんだんだ」と自分の辛さを肯定でき、そのような葛藤を軽減することができると私は考えています。

 

 

以上のように、アダルトチルドレンとしての自分と付き合っていく際には

 

①「負債」の所有権を放棄する

②自身の被害経験を肯定し、怒りを表明する

 

この2つのことを心がければ、上手く関係を築けるのではと思います。

 

 

 

<筆>

omelet(@milk832omelette):毒親持ちのAC(ヒーロー・ケアテイカー・ロストワン)でセクシャルマイノリティの23歳の研究家志望。大学で社会学を学び、勢いのままAC自助グループ「ハートゲイザー」を結成。毒親やACについて社会学的に分析できないか、日々模索中。

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